HokkeBlog

より良く人生を旅するための手法を考察するブログ

殴ってはいけない

ダラダラネットしていたら、こんな記事を見つけた。

電車内、傘で女性殴り逮捕 隣に座ろうとして嫌がられ(京都新聞) - Yahoo!ニュース

 

加害者はそれなりの社会的地位をお持ちだったようだけど、これで全てパーなのかな?
まあ、駅にも、酔って人を殴ったら人生変わってしまう(きっと悪い方に)みたいなこと書いていたポスターとかよく見かけるしね。

この人も、不快感は相当あっただろうが、殴らずじっと堪えていれば
翌朝二日酔いの頭で「昨日のあの女ムカつく」で済む話で、またいつも通りの日常が始っていたのだろう。

この場合はどっちもどっちだけど、
公共交通機関とか、あるいは車を運転しているときとか、乗り物に乗っているときに見ず知らずの第三者に不快な思いをさせられることはよくある。

電車だと、デカい話声や、ヘッドホンの音漏れとか、むやみと足を広げるオッサンとか。

けして、「自分はそんなことされるような価値の低い人間だ」とか卑下する必要は全くない。公共交通機関を利用している以上、誰だってランダムにそんな目に合う。

でも、繰り返して言うけど、暴力は決して良くない。
失うものがあまりに多すぎる。

20代のころ勤務していた会社は、当時その言葉はなかったけど、複数の上司からパワハラを受けたものだ。

何年たっても思い出してムカムカすることはある。
正直「殴ってやれば良かった」とか思っていたけど、殴ったら殴ったら最後、刑事的にも(傷害罪)、民事的にも(不法行為責任)、責任を負わなければならない。
下手すれば新聞沙汰。今の時代だと、ネット掲示板でスレッド建てられて匿名の人にあれこれ言われたりして、SNSとかしていたらもう炎上必至。
そもそも、そんなクズ共のために、むざむざ人生をフイにしてしまうのがあまりにバカバカしい。

だから、殴るよりも、じっとガマンだ。

あるいは「ちゃんと言う」こと。
自分が不快な思いをさせられたのなら、はっきりそれを明確に言葉にすること。
言葉にすることによって初めて、相手の本音や本心が分かる、あるいは自分の大人げなさや面倒くささや独りよがりに気づいたりする。
でも、そんな自分でも、仲間がいてくれる、愛されていると気づくことができる。
つい先日、そんなことがあった。
まさしく、いかに自分が大人げなく面倒くさく独りよがりだったかに気づかされた。
でも、そんな自分でも、そのままで愛されているということに気づいた。

自分の不快感を出すことで、自分のイヤな部分に直面し、結果人間関係も深まった。

言わないよりは言った方が断然良かった。
ガマンして、ずっとずっと引きずって、一方的に人間関係を悪化させるよりは。

もし自分が不快な思いをさせられて(独りよがりでなく)、相手にそれを伝えても、相手が無反応か、あるいは納得いかない対応であれば、そこで初めて考えればよい。今後その相手とどのように付き合っていくかを。

とにかく殴ってはいけない。
相手は知っている人ならちゃんと言う。公共の場で出くわした知らない人、あるいは重要な取引先やお客さんなら、じっとガマン(で、後で仲間にグチる)

矛盾することわざ

小学生の頃、教室の学級文庫にあったマンガのことわざ辞典(全5巻あった)を何度も読み返して、ほとんど記憶したけど、

「二度あることは三度ある」と

「三度目の正直」って

矛盾しているよなー、って思っていた。

同じような疑問を抱いた小学生は少なからずいたと思われる。

 

しかし、ことわざというのは言ってみればシンプルな人生訓なので、あって、それぞれに伝えたいメッセージがある。

「二度あることは三度ある」なら、
「同じ間違いを何度も繰り返すなよ」で、

「三度目の正直」なら、
「何度失敗してもあきらめてはならない」だろう。

なので、そもそもこの二つのことわざが矛盾しているとかどうとか言うのはナンセンスなのだ。

しかし、あれから約30年。オッサンになった自分は、ふとしたことからこの矛盾を解消できた。


結局言いたいのは

「先のことは分からない」

なのではないのかと(笑)。

これだけ文明や科学が発達しても、さすがにタイムマシンは発明されていない。
未来を当てることができれば、競馬や投資で大儲けだろうな(笑)

例えば競馬でも、単勝オッズが1倍台の馬が敗けることだってある。

それに、数年前の英国のEU離脱による、ポンド円相場の大暴落など、一体誰が予想できたであろうか?

でも、先のことが分からない、ことが腑に落ちる、
先のことが分からないことを受け入れられれば、

生きるのがチョット楽になるかも知れない。

人の悩みの多くは未来を憂いたり、過去を悔んだりしてしまうことに端を発することが多い。

でも、先のことは分からないのであれば、
当たるはずのない未来を思い悩んだりするのがナンセンスだと氣づく。
過去を悔んだりしてしまうのも、その過去のせいで今、幸せじゃないと思い込んでいるからなのだろうけれど、
その「黒歴史」が、実は未来の成功につながっていたことが良くある。今は分からないけど。

であれば、「今」を一所懸命生きるしかないのである。

まあ、それでも心配ならば、自分の頭で思いつく限りの未来の最悪な事態を想定して、その時にどう対処するかを考えておけばいいだけの話。

「好き」と「直感」

前回の記事で、人生を良くするには想像力次第、と書いた。

まあ、単純に考えれば、自分の未来が輝かしいものであるかそうでないか、を想像するだけで、日々のモチベーションが違ってくる。

 

では、どのように想像力を鍛えるのか?

一つは「経験の蓄積」である。

一見、同じことの繰り返しのような定型の仕事でも、細かく見ると全く違うケースもある。
で、やはり学ぶ機会は成功の時よりも失敗の時である。
振り返ると、やはり想像力が欠如していた、というより経験がなくて想像力が及ばなかったということが多い。

しかしこの経験が自らの中にデータが蓄積されれば、次回以降は「このままでは良くないことが起こるかも」という想像力が働き、事前に対策を打てるようになる。

さらに経験が蓄積されれば、その想像は「直感」となる。

すなわち、言語化できなくても「なんとなくヤバい」と感じるのだ。そして直観に従って行動すれば、そんな行動がハマることが、自分には年に数回ある。

 

そしてもう一つ、想像力を鍛える方法として、
「好きになること」だ
一例を挙げると、気になる相手、しかも恋愛対象として気になる相手だったら、

その相手のことをもっともっと知りたくなる。
何が好きか、何が嫌いか、どんな人生歩んできたのか、どんな夢を描いているのか…

営業のお仕事なら、まずモノを売りつけるより、自分が売ろうとする商品や、売ろうとする相手のことを知ることも大事だ。
まあ結局、自分の仕事がどれだけ「好き」になるかかな。

仕事って、多くの人にとって、人生の大部分の割合を使うのものだから、仕事が好きでないより好きである方が、充実した人生を送れるのだからね。

そしてこの「好き」と「直感」というのはより良い人生を送るために欠かせないものなのかな、と思う。

想像力

今月の始めに交通事故に遭った。
車を運転していて、赤信号で停車したら、前方不注意の後続車に追突された。
いわゆるオカマ。

 

幸い、加害者は保険に加入していたので、治療費などの心配はない・・・と思っていたのだけど・・・


損害保険会社の担当者の態度があまりにも横柄で閉口した。
話し方があまりに高圧的。
今まで2,3度電話で話したけど、毎回毎回、気分の悪い思いをした。


こっちは自分の考えを一つ一つ説明したいのだけど、半分も話せないうちに遮ってまくし立ててくる。

整形外科には仕事の都合上、週末しか行けないので、日常的な痛みのケアとリハビリのために整骨院にも通っていると話すと「なんで整骨院に『固執』するのですか?そんなに整骨院に行きたければ『自費』で通ってください」という暴言を吐かれる始末。

「併用」している言ってるのになんで「固執」になるんだ?思い込みも相当激しいようだ。

保険会社は加害者と契約して、加害者から保険料を頂いて、その見返りに被害者と交渉する。だからこっちから見れば保険会社は加害者同然なのだろうけど、まったくもって「誠意」が感じられない。
話ぶりからして、むしろまるでこっちが加害者みたいな扱いだ。

交通事故事件に詳しい行政書士の大先輩や、整骨院の先生とか、いろんな人に相談したり愚痴ったりしたのだけど、相当ハズレな担当者ということだ。

とりあえず、保険会社のお客様相談窓口に電話して担当者を代えてくれるように言っているけど、どうなることやら。

 

まあ、保険会社の儲けは 

<契約者からの保険料>-<被害者や被害者の通った病院や整骨院に支払った金>

なので、後者が少なければ少ないほど、保険会社の利益は増加する。

だから、担当者はこっちが情弱だと思い込んであの手この手で金を払わないように持って行きたい、それでヤカラ飛ばすのだろう。

 

僕から見て、そのヤカラ担当者が一番残念に思うのは、

もし自分が誠実な対応をしたのなら、今度僕が何か損害保険の加入の必要を感じた時に自分の会社がファーストチョイスになる、

すなわち、自分の対応次第で、将来自分の会社の顧客になる可能性がある。
営業せずとも、自分が顧客を連れてくる・・・

そういった想像力が全く働いていないことだ。

今や小学生でもスマホを使いこなすネット社会だろうけど、いくらスタイリッシュなホームページを作ろうが、バズるためのSEO対策しようが、あるいはブログやSNSリア充アピールしようが、

口コミとか、紹介とか、リアルな人間同士の繋がりによる集客がやはりビジネスの王道なのではないだろうか。
あるいは、自身を心から応援したい人と思ってもらえるかどうか。

その残念な彼には、どのような流れで、自分の銀行口座に給料が振り込まれるか想像する発想もないのだろうなあ。
それどころか、自分が情弱な被害者にヤカラ飛ばせば、勝手にお金が振り込まれると妄想しているのかもね。

想像力は多くの生物で人間だけに与えられたもの。
言い換えれば想像力が人間を人間たらしめる。
人生も良くするのも悪くするのも、想像力次第だと思う。